「十牛図に学ぶ」から考える本当の自分
先日、横田南嶺老師の著書『十牛図に学ぶ―真の自己を尋ねて』を読みました。
横田南嶺老師は、鎌倉にある円覚寺の派管長を務めておられます。この本では、禅の教えである「十牛図」について、身近な例を交えながら分かりやすく紹介されています。
私たちは学校や社会でさまざまなことを学びますが、「自分とは何か」「本当の自分はどこにいるのか」を学ぶ機会は、意外に少ないのかもしれません。
この本を読みながら、十牛図には、ヨガと重なる部分が多くあるように感じましたので、ご紹介します。

■十牛図とは
「十牛図(じゅうぎゅうず)」とは、悟りに至る道のりを逃げた牛を探し、捕まえ、家へ連れて帰る物語として描いた10枚の絵です。
牛は「本来の自分」、牛を探す人は「真実の自分を求める私」を象徴しています。
■十牛図の10段階
1.尋牛(じんぎゅう)― 牛を探す
生きづらさや迷いを感じ、「本当の自分とは何だろう」と探し始めます。
2.見跡(けんせき)― 足跡を見つける
経典の教えや先生との出会いによって「足跡」を発見し、手がかりを得て、進む方向が少し見えてきます。
3.見牛(けんぎゅう)― 牛の姿を少しだけ見いだす
瞑想などを通して、自分の本質を一瞬垣間見ます。ただし、まだ完全につかんだわけではありません。
4.得牛(とくぎゅう)― ついに見つけた牛を捕まえる
ついに見つけた牛を力づくで牛を捕らえ、手綱をかける。本来の自分と向き合います。
しかし、捕まえた牛はまだ暴れやすいため、油断するとすぐに逃げ出してしまいます。
欲望や感情、執着は簡単には静まりません。
5.牧牛(ぼくぎゅう)― 牛を飼い馴らす
暴れたり迷ったりする自分の心を、手綱を使ってしっかりと飼い馴らす。
日々の修行によって、乱れる心を少しずつ整えていきます。真の自己をコントロールし、正しい道へと導く大切なプロセスとされています。
ヨガでいえば、呼吸に戻りながら、自分の身体や心の状態を観察する段階に近いかもしれません。
6.騎牛帰家(きぎゅうきか)― 牛を捕まえた後、手綱を放し、牛に乗り、家に帰る
穏やかで自由な心境を表しています。
暴れる牛を必死に抑え込む必要が、もはやなくなっています。
心と無理に争う必要がなくなり、自然体で穏やかに生きられるようになります。
7.忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん)― 家に戻って牛を忘れる
牛を探す必要がなくなります。
悟りを得ようとする強い執着すら手放した、自然体の境地を表しています。
本来の自分は、最初から自分の中にあったと気づきます。
8.人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)― 人も牛も消える
「悟り」という区別がなくなり、真の自己を象徴する「牛」も、それを求める「自分」も、ともに消え去って「空」の境地に至ります。
9.返本還源(へんぽんげんげん)― もとの清らかな心に帰る
山は山、川は川として、そのままの世界が現れます。
特別な悟りの世界ではなく、目の前にある自然や日常を、ありのままの姿を見る境地を表します。
10.入鄽垂手(にってんすいしゅ)― 悟りを開き、街へ戻る
再び人々の暮らす街へ降りていき、自分だけの心の安らぎや悟りで満足せず、社会に戻って他の人のために尽くす大切さを示しています。
修行のゴールは、山にこもって特別な人になることではなく、得られた慈悲や知恵を周囲の人に分けていく段階です。
■十牛図が伝えていること
十牛図の大切なところは、悟りを得ることだけではなく、その後、日常へ帰ってくることです。
静かな場所で心を整えるだけではなく、家族と話し、仕事をし、誰かを助け、ときには悩みながら暮らしていく。その普通の日常の中にこそ、禅や仏教の実践があると示しています。
■十牛図とヨガの共通点
ヨガも、難しいポーズや瞑想を達成することだけが目的ではありません。
呼吸や身体の感覚に意識を向けながら、
「今、私は何を感じているのだろう」
「身体のどこに力が入っているのだろう」
「本当は何を必要としているのだろう」
と、自分の内側を丁寧に観察していきます。
そして、マットの上で得た落ち着きや気づきを、人との関係や日々の生活に生かしていくことが大切です。
忙しい毎日の中で、私たちは外側の情報や周囲の期待に意識を向け、自分の本当の気持ちを見失ってしまうことがあります。
本当の自分は、遠くへ探しに行かなければ見つからないものではなく、もともと自分の中にあるのかもしれません。
ヨガの時間が、呼吸と身体を通して自分の内側へ戻り、自分自身の声に耳を傾けるきっかけになればと思います。
今回ご紹介した『十牛図に学ぶ―真の自己を尋ねて』は、禅や仏教に詳しくない方にも読みやすく、「本当の自分とは何だろう」と静かに考えるきっかけを与えてくれる一冊でした。
参考書籍
横田南嶺著『十牛図に学ぶ―真の自己を尋ねて』
致知出版社、2020年

